Interview with Shuji Nakagawa of NAKAGAWA MOKKOUGEI [second part]

中川木工芸の中川周士氏インタビュー【中編】

伝統的な技術と新たなデザインが融合した現代にマッチするもの作りにも取り組み、世界へ挑戦する木桶職人に迫る

ANAORI:木桶職人にとって、木材は命。その木を見る目、その木材の質を見極める目を養わなければなりません。それはどういうふうにノウハウと技術を習得されたのですか?

中川:そこは独学と、あとは相談。年に数回ですけど、中学生ぐらいの時からちょくちょく親父に、木曽や吉野のほうで行われる木材市に連れて行かれて、木を眺めてきました。でも実際、自分が木を買うまで、ほんまの木を選ぶ力はなかなか身につかないんですよね。そでも年に十数本ぐらいずつ買っていくのを五年、十年続けてくると、だんだんこの木はうち向きの木だなとか、これは良い木だな、これは駄目だな、と何となく分かってきます。材木屋さんで買うのではなくて、山から切り出してすぐに、運動場みたいな所に大量に木を並べて売っている市で、入札や競りで木を売っているような市に、わざわざそういう所に行って何十本、何百本を見て、木を吟味して見ていく中で蓄積されるノウハウです。
それでもまだ、その木を買うときにわからないことがあります。木を丸太で買っているので、博打みたいなところがあります。ちょっと切って中を見せてくださいというわけにもいかないので、外をもう、何度も回って、皮の状態であったり膨らみであったり、切り口から中を何度も想像して買ってくる。それでも切ってみたら中に腐りがあったり膨らみであったり色が変わってたり、いろんなことがあるので、ほんまに、賭けというか博打のような要素があります。そこが楽しみでもあります。いい木が安く買えたり、あまりいい木ではないのに、ちょっと高く入札してもうた、そういうやりとりを含めて面白いというか楽しいところでもあります。
まさにその木が、一本の木がどのように成長していったかが年輪に全て刻まれているので、木を見ながら想像して、この木はこういう育ちをしているな、と推測します。この木はこういうものを作るのがいいか、と想像しながら買いに行きます。嫁さんには、木を買いに行くといつまでたっても帰ってこうへんと言われるようなことがありますけど。

 ANAORI:木に対する知識、植物に対する我々の知識はここ10年、20年で飛躍的に進化しました。植物が一つのエコシステムとして活発で、研究者によっては知能すらあるという人もいます。そういう木、そして植物全般に対する我々の認識が随分変わってきましたが、木を見るときにそのような研究を活かす方法はありますか?もっぱらの経験と、今まで中川さんが教わってきた判断基準に頼るのみですか?  
中川:いや、割と自分がよく使う木とか、自分より父や祖父がよく使っている木には、そういう情報の蓄積が伝承されています。新しい研究で出てきたようなことも参考にしつつ、木を買ったり使ったりしています。

例えば含水率であったり、ヤング係数であったり、木を引き伸ばしたり縮めた時の反発力とか、そういうのは経験だけではなく、数値も参考にします。あと一番大きいと思うのは、昔は天然木信仰があったと思うんですよね。天然木というのは、一切その木の生育に人間が関わらない、勝手に種が移って、芽が吹いて、何百年も育った木が天然林と呼ばれるようなものです。それに対して人工林は、山で木を切った後、山師の人が苗を植えて、枝打ちをしながら代を重ねて木を育ていくものです。

この二つの種類があって、木工の業界で天然木信仰が長く続いてきました。でも天然木を切っちゃうと、もう終わりですよ。あとはもう勝手に種が落ちてくれるのを待つのみ。でも人工林は人がある程度、自然と関わりを持って木を育てるので、実はそっちの方がエコシステムとしてサステナビリティを持っている。日本の場合、特に古くから吉野の木は500年ぐらい前から、人が山と関わりながら木を生産するシステムを持っていたので、そういう木は素晴らしいです。むしろ天然木に劣らないような、むしろ天然木よりいい部分を持っていることが多い。

だから今も、天然木一枚のテーブルだと価値があるように思うけれど、僕自身はやっぱり、500年ぐらい、10代以上にわたって人が関わり育ててきた木は、天然木と比べて別に劣らないような価値を持っていると思います。むしろエコシステム的な観点から、そちらの方が価値があると思う。そういうことについて、最近の研究を参考にして木を選んでいます。

ANAORI:実際にどのような木材を使用していますか?

中川:うちの木桶に使う木は、そんなに種類があるわけではなく、およそ5種類です。一つはヒノキ、サワラ、コウヤマキ、スギ、そしてスギの土の中に埋もれてた木で神代スギ。この5種類がうちのメインの木です。桶に使う木は、いわゆる針葉樹の木になります。桶は基本的に水を入れる器なので、だからこそ水に強い木を選んでいます。針葉樹と広葉樹に比べると、針葉樹は葉っぱが針のようになっている木で、紅葉葉は葉っぱが広く、僕らが葉っぱといったときにイメージするようなものの木です。その二つを比べると、針葉樹の方が狂いや捻りや割れが生じにくいのです。広葉樹は板にしたときに、水分の乾燥によって反ったり曲がったりすることが起きやすい。針葉樹はそれが起こりにくいという特徴があります。水を入れたら木は濡れますよね。で、濡れて乾く、乾いたり濡れたりを繰り返すのに最も強いのが針葉樹なので、その針葉樹を中心にうちは使っています。その中でも特徴があって、最も水に強いのがコウヤマキという木で、このコウヤマキは、やっぱりお風呂やお風呂周りの道具によく使われます。次に水に強いのがヒノキで、これも浴槽に使ったりします。ヒノキのもうひとつの特徴は、すごく香りが良いこと。日本人が好む香りであるので、建築材や、あるいはうちやとシャンパンクーラーのようなもの、水を入れたときにヒノキの香りがふっと出るようなものに使うことがあります。おひつとか寿司桶に使うサワラは、これは香りが優しい、マイルドな香りをしているので、料理の器やご飯を入れる器としておひつに使ったりします。それぞれ特徴があって、そのTPOに合わせて木を使い分けています。最後、スギの木は、もともとスギ樽でお酒を醸造していたので、お酒の道具と相性がいいんです。ぐい呑みやちろりなど、お酒の道具によく使います。

ANAORI:桶といえばタガ。タガというのは、どのようなものですか?

中川:僕自身は、伝統的な良さと新しいものをミックスすることを考えています。伝統的なスタイルやと、竹のタガが多くて、多分数百年前から使われています。ただ、やっぱり長く使っていると竹が割れて、はじけてバラバラになるんで、江戸時代くらいから針金とか銅とか金属も使われるようになりました。うちの場合は、最近は洋白というシルバー色のタガを主にを使うようになりました。

これは見た目が美しいというのもありますけど、木桶は水を吸った時と乾いた時で膨張と収縮を繰り返すので、この洋白というタガはバネの素材とかでもあるから、木の収縮と膨張に結構ついてきてくれて、なかなかタガが緩みにくいんです。これが銅のタガを使っていた場合、銅は割と柔らかい素材なので、木が膨張したときにタガも一緒に伸びてしまって、今度、木が乾燥したときに、銅は縮んでくれないから、そのままタガが緩んでストンと落ちてしまいます。ここ五年ぐらいですけどね、こういう新しい素材も研究して、こっちが向いていると思ったらそっちに切り替えています。
よく「タガが外れる」といわれますけど、桶にとってタガは非常に重要なパーツで、結局木桶は、木片が何枚も重なったようなものを、このタガがぎゅっと締め付けることによって形をなしている。一見、何枚も木が重なっているようには見えませんが、これが特徴的です。こういうふうに、細いものが十枚以上の組み合わさって形をなしている構造で、そこをこのタガで締め付けています。ほんで、底板が内側にはまり込むことによって底板は、桶の木を広げようという力に対して、そのタガが桶を縮めようとします。その力のバランスで、このフォルムが保たれている。だからタガというのは飾りではなく、非常に重要なアイテムの一つです。

ANAORI:工芸品は、使い捨てのプラスチック製品と違って、お客さんとの付き合いが数十年、場合によっては何代かに渡って続きます。桶の場合はいかがですか?現在、お客さんとの付き合いや、修理のプロセスも変わりつつありますか?

中川:元来、こういう伝統的な工芸品は、修理・修繕しながら長く使っていくことが基本前提で、桶も違わず修理・修繕ができるように、むしろ修理・修繕しやすいような構造になっています。タガを外して、ちょっとノリが入っていますけど、湯に漬ければまたバラバラになります。そのバラバラになったパーツで傷んだ部分だけを交換して、新しいパーツに取り替えて、もう一度組み立て直すことができます。そうすると人間の皮膚細胞と同じように、いつの間にか死んでいく細胞があれば新しく生まれてくる細胞があって、人間の体が成り立ってるのと同じように、原理的にいうと、その傷んだ所だけ交換をし続けると桶も無限に、永久に使えます。
いつの間にか新品になって、永遠に使えるような構造は面白いと思います。以前、奈良の高野山から来た修理の桶が、もう200年ぐらい使っている馬たらい、馬用の水を飲む桶の修理でした。200年前は、お客さんが来るときに門前に馬を留めて奥から、馬が水を飲むために水を張った桶を置く習慣があったらしいです。ほんで「こんなん今も使ってるんですか?」と聞いたら、今、お客さんは全員車で来ますけど、それでもやっぱり習慣的にお客さんが来るときには、このたらいに水を張って門前に置いています。

その桶を見たら、200年ぐらい使われているけど、多分100年くらい前の修理の跡や、50年くらい前の修理の跡が残っています。もう桶全体はほぼ真っ黒と言っていいくらい使い込まれてますけど、ちょっとだけ色の浅いところが点在してて、そこに僕が傷んだ所を2枚ほど交換して、また真っ新の木が入りました。あとは全部黒いんです。それでまた作り直して、まさにあとはすべて黒くなるように進めました。このバケツは、200年、100年前、50年前、それで今みたいな物と200年前のもともとの物が一体になりながら、それらがモザイクのようになりながら、やがて全部が交換されていく形で、回っていくんやと思いました。

割と桶屋が世の中にたくさんあった頃は、まさに町中に一軒ぐらいあったような時代なんで、修理・修繕が簡単やったんですよね。子供の使いで、ちょっとそこの角の桶屋までタガを締め直してもろうてきて、と桶を託されることもあったと聞きます。でもそれが今、桶屋を探すこと自体が難しくなっています。元々は、作った桶屋が責任を持って直すようなシステムやったんですけど、今はもう自分とことは関わりのないような、全国から修理の桶が送られてきますね。

でも、僕自身はそれが面白いと思います。要はうちの流れじゃない、別の職人さんのを修理して、バラバラにしてもう一度組み立て直すと、うちの流れではない別の職人さんの仕事が見えるんです。この人は、ここにこだわってこういう仕事をしてたんかと。顔も名前も知らん職人さんですけど、昔の職人さんと対話できる面白さを、修理してるときに感じます。

 

ANAORI:いま現在はともかく、中川さんはこれまで海外に行かれることも多く、海外との交流が豊富です。その中で日本の桶作りの立ち位置、そして他の文化圏で似てるような技術や伝統、そしてその違いについて色々気付かれたと思います。

中川:そうですね、コロナ前は大体年間二カ月近く、七、八回、海外での見本市やフェアに出品してたので、二カ月近く海外にいくことがありました。今はそれが止まっていますが。でも海外に行って感じたのは、全世界中に実はで桶は100年ぐらい前までどこの国でも使われていたんですよね。やっぱりプラスチックや工業製品の普及によって、全世界的に無くなっていったのが桶です。ヨーロッパでも、古い本の挿絵には桶や樽がいっぱい出てきますが、でも実際、日常的に主に使っているのは、もうワイン樽やウイスキーの樽くらいです。醸造用の樽ぐらいしか残ってなくて、一般家庭ではもうほぼ使われなくなっているのが現状です。
そういう意味では、日本の方がまだ残っています。要するに100年以上前に、もう桶が廃れていく中で、この40年ぐらい前まで家庭には一個くらい桶があったのは、日本くらいです。でも、ヨーロッパのように、100年くらい間が開いちゃうと、僕が例えばこういう木桶を持っていったときに、すごく新鮮に見える。懐かしいけど新鮮に見える。特にヨーロッパの桶やと、結構ペンキを塗っちゃうことが多くて、樽でも外側はペンキ塗ることもあったりするので。でもこういう木地のまんまの、木のまんまの桶は、なかなか珍しがられる。そういう印象を受けます。
日本から古いけど新しい物がやってきた、という形で捉えられることが多くて非常に新しい。だからこそデザインと結び付きやすいところがあって、海外の見本市に出すと、やっぱりその後デザイナーから、「君の技術とコラボレーションしたい」という問い合わせがたくさん来るんです。やっぱり新鮮に映るのだろうと思います。

でも片や国内を見たとき、国内ではやっぱり、ノスタルジックな部分の方が前面に出ています。なんか懐かしいよね、頑張ってこれを残していってくださいね、と言われることが多いです。残していってくださいねというけれど、あなたが買ってくれないと残らないよ、と思います。自分の生活の中では使わないけど、そのノスタルジックな感覚は大切にしたい。残っていってほしいと思うけど、でもそのノスタルジックな部分はどうしても減退していく傾向にある。

そうすると、国や県から補助金が入らないと残らないことになる。そうではなく、やっぱり生で、生きた技術として木桶を残したいと考えたときに、海外でそういう新しいものがやってきたという、ポジティブな捉えられ方のほうが広がりがあるので、海外に挑戦しています。

次回の最終回では、kakugama「木蓋」の開発エピソードを紹介します。
乞うご期待ください。


フォトグラファー:公文健太郎

プロフィール

中川周士

中川木工芸/ 日本

1968年京都市生まれ。1992年京都精華大学美術学部立体造形卒業。卒業と同時に中川木工芸にて父・清司氏(人間国宝、重要無形文化財保持者)に師事。2003年より三代目として滋賀県大津市にある中川木工芸比良工房を主宰。


1996年:京都美術工芸展 優秀賞受賞
1998年:京都美術工芸展 大賞受賞
2001年から2005年まで、京都造形芸術大学非常勤講師として勤務
2010年:ドンペリニヨン公式シャンパンクーラーを制作
2016年:神代杉KI-OKE STOOLが英国ロンドンV&A美術館の永久コレクションとなる
2017年:神代杉KI-OKE STOOLがパリ装飾美術館の永久コレクションとなる
2017年:ロエベクラフトプライズ ファイナリスト選出
2021年:第1回日本和文化グランプリ グランプリ受賞
2021年:第13回創造する伝統賞 受賞
さその他、国内外での個展、グループ展多数。京都の若手伝統工芸職人集団 GO ON に結成当初から参加。

コメントを残す

コメントを公開するためには承認される必要があると気を付けてください。

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleプライバシーポリシーおよび利用規約が適用されます。